希望の国のエクソダス~「この国には何でもある。だが....」

ジアス

2008年02月27日 23:59

 大荒れの北海道から戻る間に、夢中になって読んでいたのはこの本です。

 この小説が文藝春秋で連載されはじめたのがもう10年前、ちょうど今年2008年までを描いた近未来フィクションなのですが、今読んでも背筋が寒くなるぐらいの興奮を覚えて、新千歳空港の大混乱も全然気にならないぐらい夢中で読んでいました。

 エクソダスって聞き慣れない言葉ですが、英語でexodus、直訳すると大量の人間の脱出[移住・移動]、集団脱出という意味になります。この小説は中学生が全国規模で学校をボイコットする事件から始まっていきます。
 ちょうど、インターネットが社会のインフラとして認知されはじめる時代を背景に、ネットワークを武器にして旧態依然とした権力に反乱を起こす、その過程で日本の社会に存在するいろんな矛盾があぶり出されていく中で、考えさせられることはたくさんありました。

 時代を覆う閉塞感をこれまでと全く違う価値観と迷いを持ちながら突っ走る中学生グループと、それを追う雑誌記者。自分が雑誌記者であるおとなの立場に差し掛かっていながら、実は私は急成長する会社の中で既成の価値観をぶっ壊すことを期待されている野武士集団の業務改革部隊を率いるマネジャーなのです。既成の価値観もある程度理解する立場と、それをぶっ壊す立場と、自分の視点をめまぐるしく変えながら、仕事に対するヒント、そして今年から中学生になる娘の父親としてのヒントをいっぱい吸収できた気がします。
 
 「この国には何でもある。だが、希望だけがない」

 中学生グループを率いるポンちゃんのこの言葉、おとなになることが素敵だというモデルを提示できない今のおとなには重い言葉だと思います。自分の娘たちには、私たち夫婦が素敵なおとなのモデルになれるように何をすべきか、それを考えさせられます。
 北海道人の立場から、野幌は「NOHORO」じゃなくて「NOPPORO」だよと突っ込みたくなりますが(爆)、野幌にそんな理想郷が出現するのを見たかった。それが実現せず、この小説ほど日本の社会もこの10年で急展開せず、問題を先送りしつつ、「ゆっくりと死んでいく」過程に入っているんじゃないか、という危惧を抱きつつ、それでも日本は経済大国であり続けなきゃいけない、という変なプライドを捨てて国民が安心して日本に住めるという状態であればそれでいいなと思うのですけど、どうも東京で感じる空気はそうじゃないですね(苦笑)。

 私は、例えば北海道で安心して住めるような状態を作るために何をすべきか、ということを考えれば、日本の社会ってがらっと変わると思うんですけど、きっとそんなことを考える人は日本人の中でも少数派なのかな、と東京と北海道を往復しながらその空気の違いを肌で感じて考えています。
 その答えを、いつか出せる日が来ることを願って。少なくとも、自分がそれを目指すことに何か力になれる日が来ることを願って。

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