ちっちの物語その44~年越し

ジアス

2012年01月06日 23:28

 学校は冬休みに入りましたので、ちっちも姉も毎日家で過ごすようになりました。受験生のはずのちっちの姉も、ちっちと一緒にゲームをしたり絵を描いたりと、一緒に過ごす時間が多くなりました。
 私は平日は相変わらず仕事に出ていましたが、昼間に決して悲しい顔を見せずにいつも通りの笑顔を見せて、時には言い合いながら遊んでいるという話を妻から聞いて、そんな姉妹のこれまで当たり前のように続いてきた光景が少しでも長く続くことを祈りながら仕事に出かける毎日でした。

 それでも29日にこの年最後の仕事を終え、30日は輸血のためにちっちを連れてB病院へ行きました。
 そして次の輸血は年明けの2日ということになり、年越しはゆっくり家族で過ごしてくださいね、という言葉に見送られてわが家に帰ってきました。

 そして大晦日は、いつもの年と同じようにわが家で過ごしました。
 その前の年の年越しも、入院中でしたが骨髄移植の前に外泊許可が出てわが家で過ごすことができたのですが、その時にあった希望の灯はいままさに最後の輝きを放とうとしていたのでしょうか。
 大晦日はおせちの準備も終えて、妻がごちそうを作り、ちっちの大好物のカニやウニや(どちらも生じゃなくて火を通しています)おせちのカズノコも少し出したりして、みんなで大画面のテレビを見ながらわいわい過ごすつもりでした。ところが、ちっちの姉は少し具合が悪かったようで、夕食もあまり手をつけず、そのあとの恒例の年越しそばも少ししか食べませんでした。
 そんな姉の様子を見て、ちっちが「お姉ちゃん大丈夫?」と心配していたのを覚えています。

 子供たちが見たがっていた「ガキの使いやあらへんで」と私たちが見たい紅白を何度もチャンネルを切り替えながら、桑田圭祐の復活を見て感動し、そして年越しのカウントダウンを迎えました。
 ちっちは私たちと一緒にカウントダウンをして、2011年を迎えた瞬間、私はちっちとハイタッチをして新年を祝いました。

 その時点では、その日のうちにちっちが天国に旅立ってしまうとは、まだ思いもしませんでした。

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