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<<マスターのプロフィール>>

・ネットの世界ではジアスと名乗っています。
・生まれは関西。東京から札幌に移住し、東京単身赴任を経て札幌に舞い戻った40代の勤め人
・札幌の自宅に嫁さんと娘がふたり
・趣味は酒、読書、映画、旅。特に英語の本を原書で読むのが楽しみ。

<<このサイトは>>

 私が読んだ本、観た映画の個人的な感想を中心に、仕事や日々の生活で思ったことなどをつぶやくこともあるブログです。仕事から帰って、ゆっくりグラスを傾けながら書き込むつもりですので、お読みになるみなさんもぜひ一緒に飲んでいるような気持ちで、ゆったりとお話できれば幸いです。

<<このBARの名前について>>

 "Clock in a forest"は、「森の時計」という喫茶店の名前から拝借しています。「森の時計」は、2005年1月〜3月に、フジテレビ系で放映された倉本聰氏脚本のドラマ 「優しい時間」 の舞台となった喫茶店の名前です。その店には「森の時計はゆっくり時を刻む」という倉本氏自筆の額が飾られていました。
 今のビジネスや社会は、「時間」をどんどん速く刻むことが競争に勝つための必須条件であると思えるかのような、非常に息苦しい状態になっていると思います。そんな中で生活するみなさんが、ほっと一息つけるような、そんなサイトになるといいな、というのがマスターのささやかな願いです。
 ちなみに、喫茶店「森の時計」は、ロケに使われた状態のまま、新富良野プリンスホテルの敷地内で営業しています。
























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2011年10月15日

ちっちの物語その31~食生活を変えること

 健康家族モードに入ったのはもう1つ伏線があって、やはりこの頃、藁にもすがる思いだった私達夫婦は、ネットで見つけたとある治療院を訪ねていたのでした。
 その治療院のウェブサイトには、西洋医学的な治療で他に手立てがないと言われた方でもまだ治る道がある、ということが書かれていました。要は、食事療法や、びわの葉温灸などの自然療法で身体が本来持っている自然治癒力を高めてがんを治す、ということです。

 腫瘍の転移や進行を、抗がん剤や放射線で止めるということができなくなった今、このような自然療法でも一縷の望みがあるのであればと思い、この治療院に電話してみました。そうすると、まず一度親御さんだけでも来院してご相談しましょう、ということになり、私達夫婦はこの治療院を訪ねたのです。
 治療院は街の中のビルの1階にあり、入り口には自然食のカフェの看板が出ていました。その奥が治療院になっているようで、やせ気味で作務衣を着た、いかにも玄米菜食をやっていそうな風貌の男性が迎えてくれました。

 約束の時間より少し早く着いたので、前の治療が終わるまでの間少し待つことになりました。自然療法や玄米菜食の本をぱらぱらとめくりながら待つことしばし、先ほどの男性が現れました。
 彼は、毎日の食事から様々な毒素を取り込んでいるので、治療と並行して食事を改める必要があるということを力説されました。それは確かに一理あると考えていましたので、私たちも少々大変になるけれど、ちっちのためなら食事を改めることも考えて話を聞いていました。

 その話の流れの中で、彼が、
 「小学生のお子さんなら学校給食があると思いますが、あれが良い食生活の大きな邪魔です。それもできれば避けてください。」と非常に苦々しげな顔をして言ったのです。

 そこで私の意識がはっと覚めました。
 長い入院生活を過ごしたちっちにとっては、毎日学校に行ってみんなと同じ時間を過ごすことが一番大事な心の支えになっていて、それは給食の時間も含めてではないかと思ったのです。ちっちにいつもと同じ生活をさせてあげたいと考えている以上、家での食事を少しでも身体にいいものにすることはちっちが納得しても、きっと給食の代わりに玄米菜食の弁当を持っていくのは嫌がるだろうと思いました。きっと、そうすることを強いると、もっと大事なものを失くすような気がする、直感的にそう思ったのですが、どうやら妻も同じように思ったようでした。

 とりあえず、がんに効くといわれるびわの葉のお茶(北海道ではびわが生えないのでびわの葉自体手に入らないのです)と、風呂に入れるびわの葉だけを買って、治療院を後にしました。
 帰りのクルマの中で、妻と話したことは、「今のちっちの心の支えになっていることを否定することはできない。少なくとも家で私たちがちっちに何をしてあげられるか、家の食事だけでも考えてみよう。」ということでした。

 ただ、前回書いた、ちっちの姉の「健康家族」発言もありましたが、やはり、食事を作る妻にとっても大きな負担になり、結局は長続きすることはありませんでした。そして、私も、それを責めることはできませんでした。
 そういう意味では、いま、放射線で汚染された食べ物を子供に食べさせまいと努力されている方々のストレスは本当に大変だと思います。何を信じればよいのか、いつまでそれを続ければいいのか、とんでもない不安と戦いながら日々の食事を作っている方々の努力には本当に頭が下がります。


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Posted by ジアス at 16:38│Comments(0)ちっちの物語
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