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<<マスターのプロフィール>>

・ネットの世界ではジアスと名乗っています。
・生まれは関西。東京から札幌に移住し、東京単身赴任を経て札幌に舞い戻った40代の勤め人
・札幌の自宅に嫁さんと娘がふたり
・趣味は酒、読書、映画、旅。特に英語の本を原書で読むのが楽しみ。

<<このサイトは>>

 私が読んだ本、観た映画の個人的な感想を中心に、仕事や日々の生活で思ったことなどをつぶやくこともあるブログです。仕事から帰って、ゆっくりグラスを傾けながら書き込むつもりですので、お読みになるみなさんもぜひ一緒に飲んでいるような気持ちで、ゆったりとお話できれば幸いです。

<<このBARの名前について>>

 "Clock in a forest"は、「森の時計」という喫茶店の名前から拝借しています。「森の時計」は、2005年1月〜3月に、フジテレビ系で放映された倉本聰氏脚本のドラマ 「優しい時間」 の舞台となった喫茶店の名前です。その店には「森の時計はゆっくり時を刻む」という倉本氏自筆の額が飾られていました。
 今のビジネスや社会は、「時間」をどんどん速く刻むことが競争に勝つための必須条件であると思えるかのような、非常に息苦しい状態になっていると思います。そんな中で生活するみなさんが、ほっと一息つけるような、そんなサイトになるといいな、というのがマスターのささやかな願いです。
 ちなみに、喫茶店「森の時計」は、ロケに使われた状態のまま、新富良野プリンスホテルの敷地内で営業しています。
























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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2009年02月21日

辛口モスコミュール

 ふへ~。明日はやっと1週間ぶりの休日です。

 今週は出張もせずずっと東京にいましたが、忙しくてこちらの店には水曜以降顔を出せませんでした。
 というわけで先週の日曜日のネタを今頃書きますが......(^^;;

 先週の日曜日は、昨年11月に鳴り物入りでオープンした国内最大のショッピングセンター、イオン越谷レイクタウンに行ってきました。端から端まで歩き回り、非常にいい運動になりましたが(爆)、あらかた見たい店の冷やかしも終わり、喉が渇いてレストラン街にあるアメリカンダイナーの片隅のバーに入りました。

 まずビールで喉を潤し、生ハムのカルパッチョをつまみながら2杯目何にしようかとメニューを見ていると、

 「辛口モスコミュール」

 なるものが、わざわざ普通のモスコミュールと別になっているので気になって頼んでみました。

 出てきたのはこれです。飲んでみると確かに辛口。

 種を明かすと、お酒を割っているジンジャエールが違い、ウィルキンソンを使っています。「よかったらどうぞ」と割った残りのウイルキンソンをもらったのですが、飲んでみて「をを、生姜!」という味でした。ジンジャエールは本来こうだよね。バーテンダーさんいわく、「カナダドライと全然違うでしょ」って。納得。

 で、私はウィルキンソンって海外のブランドだと思っていたのですが、調べて2度びっくり。なんと兵庫県は西宮の鉱泉がルーツの、国産品なんですね。イギリスから来たウィルキンソンさんがこの鉱泉を発見したのが名前の由来で、イギリスから瓶詰め設備を取り寄せて工場を建設。王冠をはじめて日本で使用したのもこの工場で、戦後には一時代を作った「バヤリース」もこの工場から出荷されていたそうです。

 一杯のモスコミュールから、いろいろ面白い話ってあるのですね。
 軽く飲んで上機嫌で駅に向かう途中、昼間は長い行列ができていた「クリスピークリームドーナツ」もこの通り数分待ちで買えそうだったので、並んで翌朝の朝食用に買いました。この程度の待ち時間でもちゃんとドーナツ1つもらえましたよ(笑)。
  

Posted by ジアス at 23:59Comments(0)街を歩く

2008年10月08日

竹芝桟橋からの眺め

 海が見える場所と言えば、東京で新たにお気に入りの場所を見つけました。

 それがここ、竹芝桟橋です。
 伊豆諸島や小笠原への客船が発着する場所ですが、伊豆諸島も小笠原も行ったことがないので、ここに来たのははじめてです。でも、眺めの良いウッドデッキとベンチがあり、そこから見えるのは正面にお台場、右にレインボーブリッジ、左には昔は跳ね橋だった勝どき橋と、かなりいい風景です。



 ちょうどデッキに着いたときには、近くのホテルから人々が出てきて、海が見える庭で屋外の結婚式が始まりました。ウェディングドレス姿のきれいな花嫁さんをみているうちに、今度は一隻の船が海から桟橋に到着。こちらからも新婚カップルと礼服をきた人たちが降りてきました。こっちはどうやら船上で結婚式か披露宴が行われたみたいです。人々の幸せそうな姿を見ていると、こっちまで少し嬉しくなります。

 しばらく海沿いのベンチで海を眺めた後、近くのビルの海が見えるレストランに入って、レインボーブリッジを見ながら遅めのランチを食べて、のんびりと過ごしました。

 またそのうち海が見たくなったら来ようっと!
  

Posted by ジアス at 23:08Comments(0)街を歩く

2008年10月05日

東京大学物語

 という江川達也のコミックを覚えている人はどれぐらいいるかなぁ。
 コンプレックスの固まりのような主人公はともかく、ヒロインの水野遙は好きでした(笑)。

 という話はどうでもよくて、昨日の記事の旧岩崎邸庭園までくれば、実は東大附属病院が見えていて、東大はすぐそこです。
そういえば東大にも行ったことがないので、龍岡門という裏門から東大構内に入りました。入り口の守衛さんがいる門で案内図を覗いていたら、「行き先わかりますか?よかったらこれをどうぞ。」とキャンパスマップをくれました。その親切さを期待していなかったのでまずはびっくり。

 東大といえば一目見たいのは安田講堂と赤門だったのですが、意外だったのはここ。
 これだけ見るとどこに行ってきたのかとおもうでしょ?


 名前だけは知っていましたが、東大の本郷キャンパスのほぼ中心にある三四郎池です。
 よくよく考えると、東大の敷地自体が江戸時代の加賀百万石前田家のお屋敷の跡なので、その時代に作られた池だと言えば納得がいきますね。

 東大のキャンパスを歩いた印象は、予想外に女の子が多いなということ。東大生じゃなくて他の大学のサークルの娘が多いせいなのか、文系の学部棟の近くを主に歩いたせいなのか、野郎どもは理系が多くて研究室に籠もっているせいなのか、よくわかりませんが、いずれにしても私には別世界のことは理解できません(笑)。

 ここからさらに本郷近辺の路地裏を歩き、樋口一葉や坪内逍遙の名が刻まれた文学碑を見て、最後は後楽園駅の近くでお好み焼きを食べて、金曜の午後の短い散歩も終了です。


   

Posted by ジアス at 22:25Comments(0)街を歩く

2008年10月04日

旧岩崎邸庭園~明治の洋館の代表作

 昨日は上野でバリウムを飲む(笑)という用事がありまして、仕事を休んで出かけました。14時過ぎに終わったので、せっかく上野まで出てきたし、行ったことのないところに行こうかと。

 そういえば過去何度も上野に来ていながら、西郷さんの銅像を見たことがありません(爆)。というわけで京成上野駅わきの階段を上がり、まずは西郷どんにご対面。上野の美術館や博物館に行くにはちょっと遅い時間だと思い、不忍池の方へ。池を琵琶湖に見立て、竹生島をモチーフに作られたという観音堂から池を横切ります。
 池の西側に出るとそこからすぐの所に旧岩崎邸庭園があるという看板が。戦前の三菱財閥社長の岩崎家のお屋敷です。行ってみるとこんな立派な洋館がありました。

 イギリス人のジョサイア・コンドルの設計で(鹿鳴館やニコライ堂を設計した人でもあり、その弟子が東京駅を設計した辰野金吾)、彼の洋風邸宅の代表作と言われているそうです。中に入ってみると玄関に階段に暖炉に居間にサンルーム、地下道や離れの撞球室(ビリヤードルーム)もあればアメリカの映画に出てきそうな立派なバルコニーと、ため息がでるくらい美しい空間でした。最初の写真は北側の玄関側ですが、南側の芝生から見た感じはこの通りです。

 でも、その当時の邸宅はこの通り洋風の屋敷と和風の屋敷がつながっていて、ふだんの生活は主に和風の屋敷で営まれ、洋館は来客用の施設という色合いが濃かったようです。明治・大正の頃はこの形式の屋敷が日本には多かったとか。子供の頃から慣れ親しんできた習慣というのはいかに西洋文明を急激に取り入れていく中でもそう簡単には変えられないということでしょう。私たちも思い当たることがありますよね。

 ちなみに、この屋敷のすぐ横にある坂が無縁坂です。森鴎外の小説「雁」に出てくることで有名ですが、私にはさだまさしの(というか正確にはグレープの)曲の方が先に浮かびます。そういえば、不忍池のすぐそばにあるので、ああいう歌詞なんだ、と改めて気付きました。
  

Posted by ジアス at 23:40Comments(0)街を歩く

2008年10月03日

日光を見ずにけっこうと言うな~日光を歩くPart4

 昨日の続きです。

 静かな道を歩いて落ち着いた雰囲気を満喫していたのに、いきなり観光バスが連なる喧噪の中に放り出されました。

 輪王寺大猷院の夜叉門はこの通りの派手な色遣いの門です。
 そこを過ぎた将軍家光のまつっているといわれる建物はとても地味なのに。でも、色遣いは地味でしたが造りは凝ってましたね。

 隣の二荒山神社の敷地を抜けると、東照宮の入り口に出ます。
 さっきの輪王寺大猷院の拝観料600円も高いと思いましたが、東照宮はなんと1300円!有名な社寺がたくさんある京都でもこんな高い拝観料を取られた記憶がありません。こんなところから江戸を見渡し、どこまで上から目線やねん、家康!

 でも、日光まで来て東照宮を見ずに帰ったというのもしゃくで、しぶしぶ払って中へ。9/29の記事で写真だけ紹介した「見ざる、言わざる、着飾る」じゃなくて「聞かざる」の絵が描かれた場所へ。これって実は馬小屋の壁に書かれた絵で、有名なこの絵だけじゃなくて子猿の成長の一連のストーリーになっているとははじめて知りました。

 その先が有名な国宝の陽明門です。細かい彫刻が500以上施されています。しかし、このあたりから老人の団体客に小学生の修学旅行のマナーを守らないガキどもに行く手を遮られなかなか進めなくなります。同じく国宝の本殿は長蛇の行列で進みそうにないので見るのをあきらめ、下の写真にある左甚五郎の作で有名な(これも国宝なんですね)眠り猫の彫刻の下をくぐって家康がまつられている奥宮への長い階段を上がりました。





 正直言って、前半の金谷ホテルや石畳の道でのんびりできたのが楽しく、東照宮はざっと見ただけで混雑に嫌気がさして駆け足で出てきちゃいました。高い金払ったのに.....。
 「日光を見ずに結構と言うな」とは言われますが、やっぱり、せっかく東京を離れてきたのだから、人混みの中よりのんびり静かな場所を歩くのが癒されるなぁ。
  

Posted by ジアス at 22:54Comments(0)街を歩く

2008年10月02日

静かな日光発祥の地~日光を歩くPart3

 一時38円まで減った私の財布の中身も、どうにか普通の状態に戻りました(笑)。

 さて、日光の話に戻ります。

 金谷ホテルを出て神橋を横に見ながら隣の橋で大谷川を渡ると、目の前は東照宮に続く森なのですが、あえてそちらに入らず橋を渡ってすぐ右折、美術館の前を通り過ぎて次の橋の手前で左折し、川を右に見ながら歩いていきます。

 日光は東照宮など徳川家の聖地というイメージが今では強いですが、そもそもは奈良時代に勝道上人が開き、鎌倉時代には多くの寺社で栄えていた土地だったそうです。その日光発祥の地をやはり最初に目指そうということで。

 途中から舗装路から分かれて杉木立の中を抜ける石畳の道になり、風情があります。他に歩く人もほとんどなく、静かで落ち着いた散歩道です。この写真の大きな杉は樹齢300年以上だそうですが、そんな中を歩いていくとなにやら不思議な祠が。

  見ての通り将棋の駒だらけ。それも全部香車です。

 これ、安産に御利益のあるお堂だそうで、香車だらけの理由は、香車は一直線に進む後戻りしない駒なので、無事安産するまで一直線、という意味だそうです。で、無事子供を授かった人が新しい香車の駒を寄進し、この通り。別名「香車堂」というそうな。

 しばらく石畳の道を歩くと滝があります。白糸の滝という滝で、その脇から石段が続いています。その石段を登ると滝尾神社という神社があるのですが、その神社に続く道の鳥居にはこの通りなぜか小さな穴が。






 これは、「運だめしの鳥居」だそうで、その穴に向かって小石を3つ投げて、いくつ中を通ったかで運だめしをするのだそうです。私も3つ投げてみましたが、1つも通りませんでした(TT)。

 滝尾神社から再び白糸の滝に戻り、今度は右手に続く道を登っていくと、頂上に行者堂というお堂があります。そこからはまた立派な杉木立の続く坂道。のんびりと下っていくと、徳川3代将軍家光の墓のある輪王寺大猷院に出ます。

 続きはまた明日以降に(^^)/  

Posted by ジアス at 21:28Comments(0)街を歩く

2008年09月30日

「金谷ホテル」リゾートホテルの草分け~日光を歩くPart2

 日光の話に戻りますね。

 日光駅を出て、最初に向かったのは日本のリゾートホテルの草分けといわれる「金谷ホテル」です。東照宮の楽師をしていた金谷善一郎が、日光を訪れた外国人を泊める場所がなくて自宅に招いたのをきっかけに、外国人専用の宿を明治6年に開いたのが始まりだそうです。
 その後、イギリスの著名な旅行家、イザベラ・バードが自分の著書"Unbeaten Tracks in Japan"に詳しく紹介するなどして、外国人のよく訪れる有名なホテルとして発展してきました。有名な箱根の「富士屋ホテル」もこのホテルの創業者の善一郎の次男正造が創業者山口仙之助の娘に婿入りして外国人御用達のホテルに育て上げるなど、金谷ホテルの血が日光・箱根という国際的な保養地に脈々と受け継がれています。
 電話番号は役所よりも先んじて日光で最初に電話が引かれたことを示す1番ですし、自家発電所にスケートリンク、温水プールや温室など、当時の最先端のサービスを次々と作っていきました。

 コロニアル風の3階建ての建物の入り口の木製の回転扉の上に「KANAYA HOTEL」という黒地に金の看板がかかっています。そこをくぐると細かな装飾が施された内装が美しいクラシカルなホテルのロビーです。ロビーからはこの写真の通り美しい庭園が眺められ、その向こうには皇族も宿泊された別館が建っています。ロビーの中に残っている宿泊客の写真や宿帳のサインからは、大西洋横断で有名なチャールズ・リンドバーグや、ノーベル賞受賞が決定した直後のアインシュタイン博士、ヘレン・ケラーが泊まったという記録も残っています。

 本館の出口を出て右手の駐車場の上の方の目立たない場所に、「金谷の時間」という小さな展示室があり、そこに入るとホテルの歴史をさらに詳しく知ることができる貴重な空間があります。ホテルを訪れてもあまり気付かない場所だと思いますが、ぜひ訪れてみてください。部屋の窓からはダイニングルームの風景をこの通り覗くこともできて、おすすめです。

 昼飯時だったので、ダイニングルームで1995円のカレーを食べようかどうかかなり迷ったのですが、結局食べずにホテルの売店で315円のカレーパイを買いました。金谷ホテルのパンはこれまた有名で、日光中に「金谷ベーカリー」の看板がかかったお店があり、観光客に人気のようです。
 私はカレーパイを買って大谷川の方に向かう散策路を下って川縁に出ました。ホテル敷地内の利用者専用の散策路ですが、ごらんの通り、有名な神橋を間近に見られる川縁の石の上に座って、カレーパイを食べました。川縁なので涼しく、カレーパイも美味しかったですよ。

 東照宮への行き帰りのどちらかに、ぜひこのホテルを訪れて、歴史を感じてみてはいかがでしょうか?

  

Posted by ジアス at 22:28Comments(0)街を歩く

2008年09月28日

JR日光駅の秘密~日光を歩くPart1

 突然ですが、仕事で煮詰まっている頭をリフレッシュしたくて、急な思いつきで日光へ日帰りで出かけました。
 北海道へ移り住む前に首都圏には住んでいたのですが、神奈川在住が長かったので鎌倉や箱根や伊豆には何度も出かけていながら、北関東方面にはほとんど出かけていませんでした。というわけで、実は生まれて初めての日光です。今朝のスペーシアに乗って日光を目指しました。

 東武日光駅を降りて最初に目指したのは、世界遺産になった東照宮をはじめとする日光の社寺群と反対側、JR日光駅です。
昔は東京から日光への観光客の集客を激しく競った間柄ですが、もはや東京のJRの駅からの直通電車は無く、県都宇都宮と日光を結ぶローカル線になっています。片や東武日光駅からは池袋・新宿へのJR直通特急が運行されていますし、勝負はついたということでしょう。

 でも、現存のJR日光駅の文化資産としての価値は高いです。大正元年に改築された駅舎のコンコースから階段を上がった2Fは上の写真の通り豪華なシャンデリアとカーテンがしつらえられた空間。ここはそこの昔一等客専用の待合室だったそうです。さらにホームから直結のこの貴賓室。








 病弱だった大正天皇が毎年のように静養に訪れた際に使われた貴賓室が一般公開されていました。
 もはや珍しくなった硬券の記念入場券を買って見学しました。その昔、国際的な保養地として名をはせた日光の栄華が感じられる場所でした。

 ここから今日の日光の旅が始まるのですが、続きは明日以降のお楽しみ♪


  

Posted by ジアス at 22:54Comments(0)街を歩く

2008年09月09日

板橋は本当に板の橋~王子から板橋へPart2

 緑の吊橋からさらに石神井川に沿って西へ。
 埼京線の線路をくぐって板橋区に入ります。

 川べりの緑豊かな道は残暑が続くこの季節なら気持ちのいい散歩道です。ジョギングする人も多いのですが、のんびり歩いているうちに、まだ16時過ぎなのになんだか薄暗くなってきました。
 帝京大の付属病院が見えるあたりで空が光りました。げ、雷?

 板橋は中山道最初の宿場町で、その地名の由来になった「板橋」は昭和7年まで本当に板の橋だったらしいです。
 今の板橋はご覧の通り欄干だけが板張り風ですが、着いたときには土砂降りの夕立!
 橋のたもとのお好み焼き屋の軒先で雨宿りしながらこの写真を撮りました。

 雨が小降りになるのを待って三田線の板橋本町駅まで駆け抜け、日曜の夕方の短いけれど変化のあった楽しいお散歩もおしまい。
 次はどこを散歩しようかな。  

Posted by ジアス at 22:48Comments(0)街を歩く

2008年09月07日

音無川に沿って~王子から板橋へPart1 「緑の吊橋」

 今日は昼まで爆睡(^^;;。
 その後洗濯と掃除を済ませて、ちょっと気晴らしの散歩をしたくて15時に部屋を出ました。

 で、行ったのが「緑の吊橋」。
 これだけ見たらどこまで行ったんだ、と思われそうですが、ここは実は王子駅から歩いて10分ぐらいの場所です。
 王子駅の北側の出口から賑やかな方と反対側の出口へ出ると、駅の前がすぐ「音無川親水公園」になっています。飛鳥山公園とも都電が走る道路をはさんだ反対側になる場所。駅の真下を横切る石神井川の両側が公園になっています。

 ここから石神井川に沿って歩くと、この吊り橋があります。石神井川も昔は蛇行していたのですが、水害対策でカーブをゆるめる治水工事が戦後行われています。その以前の川筋が三日月型に残っているところが公園として残っているのですが、これはその一角。つまり、今は吊り橋の下は遊歩道ですが、昔は石神井川だった、という場所。

 おそらく東京23区唯一の吊り橋だと思われます。
 歩いてみると吊り橋らしくゆさゆさ揺れてくれました。楽しい!

 タイトルにある「音無川」ってどこなの?という疑問に答えておくと、実は石神井川の別名です。実は石神井川はこのあたりでは昔は滝野川という別名で呼ばれていたそうです。北区に残る滝野川という地名は、戦前は滝野川区という区名になっていたくらいで、後に王子区と合併して北区になるのですが、滝野川という地名がどこから来たのか疑問でした。今は住宅街の中で護岸に覆われていますが、昔は渓谷の中をいくつもの滝を作って流れる川だったようで、そこから滝野川という地名が生まれ、さらにその川を飛鳥山公園に来た徳川八代将軍吉宗が、「音無川」と名付けたそうです。
 滝があって轟々と流れる川を「音無川」と名付けた吉宗のセンスもすごいものですね.....

 今日はこの先も楽しかったのですが、まずはPart1ということで、明日以降をお楽しみに!

 
  

Posted by ジアス at 20:55Comments(0)街を歩く

2008年06月15日

都電荒川線


 昨日までの仕事で煮詰まっていたので、今日は気分転換したくて街に出かけました。

 目指したのは都電荒川線。東京に残る唯一の路面電車ですが、今まで乗ったことはなく、どうせなら全線乗り通してやろうと池袋で買い物をしたあと、昨日開通したばかりの副都心線に乗って西早稲田へ。
 副都心線は地下を走るだけなので別に面白いこともありませんが、改札を出ると地上へ出る案内地図の前に人だかりができているのが可笑しかったです。みんな自分の目的地に行くにはどの出口を出ればいいのかわからないんですね(笑)。

 都電の始発駅早稲田に向かい、地図によるとここから終点の三ノ輪橋まで、新宿・豊島・北・荒川の4区を縦断する53分の小さな旅の始まりです。
 早稲田を出たときは電車はすいていたのですが、3つめの鬼子母神前駅で電車を待つ長蛇の列が吸い込まれ満員状態に、そのまま途中の駅で乗り降りはあるものの、結局終点近くの町屋駅までほぼ満員状態。たまたま乗った電車がよくあるロングシート車じゃなくクロスシート車だったので、外の景色は見えましたが落ち着かず、途中駅の乗降にも手間取って結局63分かかって終点の三ノ輪橋に到着しました。

 三ノ輪橋の駅にはこんな懐かしい看板が。わざと集めて貼ったのだと思いますが(笑)。
 亀の子たわし、オロナミンC、ボンカレー。右端にもう1つ何かあったけど忘れた。

 三ノ輪で降りてしばらく歩くとなにやら祭りのおはやしの賑やかな声が聞こえてきました。
 声のする方に行ってみると、横町に見えたのはお御輿。
 熱い!

 勇壮なかけ声が飛び交う中、地元の町会長さんらしきおじさんが御輿に乗ったらやんやの喝采。
 思いがけず下町らしい光景に出会いました。


 ここからはまっすぐ隅田川を目指し、川縁の公園に出たらそのまま川沿いに浅草へ。
 やっぱり水辺は涼しいです。近くのコンビニでビールを買って川縁の堤防に座ってビールを飲みながら、昔の失敗を思い出していました。

 当時東京在住だった私は、結婚する前の嫁さんと一緒に隅田川の花火大会を見に行きました。
 堤防の上に座るとよく花火が見えるのですが、そんな場所は昼間から場所取りしないと取れません。めでたく堤防の上の特等席をゲットした私は、よく晴れた夏の暑い日の午後、昼間っからビールをがぶ飲み。
 日が沈む頃にはすっかりできあがってしまい、肝心の花火が上がる頃にはほとんど爆睡していましたとさ。

 今だから笑い話になるけど、どんだけ彼女にあきれられたか。
 でも、この隅田川の思い出も、今はいい語りぐさになることが、幸せということだと思います。
 
 わずか半日の小さな旅でもすごくリフレッシュできたので、せっかく東京にいるのだし、もう少し出かけるのを増やすのも悪くないな、と思った休日でした(^^)/。

  

Posted by ジアス at 21:28Comments(0)街を歩く