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<<マスターのプロフィール>>

・ネットの世界ではジアスと名乗っています。
・生まれは関西。東京から札幌に移住し、東京単身赴任を経て札幌に舞い戻った40代の勤め人
・札幌の自宅に嫁さんと娘がふたり
・趣味は酒、読書、映画、旅。特に英語の本を原書で読むのが楽しみ。

<<このサイトは>>

 私が読んだ本、観た映画の個人的な感想を中心に、仕事や日々の生活で思ったことなどをつぶやくこともあるブログです。仕事から帰って、ゆっくりグラスを傾けながら書き込むつもりですので、お読みになるみなさんもぜひ一緒に飲んでいるような気持ちで、ゆったりとお話できれば幸いです。

<<このBARの名前について>>

 "Clock in a forest"は、「森の時計」という喫茶店の名前から拝借しています。「森の時計」は、2005年1月〜3月に、フジテレビ系で放映された倉本聰氏脚本のドラマ 「優しい時間」 の舞台となった喫茶店の名前です。その店には「森の時計はゆっくり時を刻む」という倉本氏自筆の額が飾られていました。
 今のビジネスや社会は、「時間」をどんどん速く刻むことが競争に勝つための必須条件であると思えるかのような、非常に息苦しい状態になっていると思います。そんな中で生活するみなさんが、ほっと一息つけるような、そんなサイトになるといいな、というのがマスターのささやかな願いです。
 ちなみに、喫茶店「森の時計」は、ロケに使われた状態のまま、新富良野プリンスホテルの敷地内で営業しています。
























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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2008年08月04日

公立 vs. 私立

 またまた今週のAERAからのネタで。

 実はAERAは東京に来てからほぼ毎週買ってます。
 堅すぎず、柔らかすぎず、社会の動きをざっと俯瞰するには私の好みに一番あっているので。読売や産経系のメディアがあまり好きではないし、自民党嫌いだし。どっちかというと私は少し左のポジションにいるということですね(^^;;

 それはさておき、今日の注目記事は「『私立転向』に公立親の葛藤」です。「公立中から公立高に進んだ。いい大学にも行けた。受けてきた教育に誇りはある。そんな『公立親』が、なぜ自分の息子や娘を中学受験させたのか。」がサブタイトル。

 何を隠そう、私は公立小中高→志望の私大に現役合格した典型的な「公立親」です。嫁さんも同じく公立小中高→志望の私大現役合格は同じ。違うところは私の場合地方出身で公立以外に選択肢がなかったのに対し、東京出身の嫁さんは私立の高校には行かず公立のハイレベル高に行くという選択をしたことぐらいですね。

 私の中では小学校と高校は楽しい思い出、中学は嫌な思いがが多いのですが、全体として公立でのびのび過ごさせてもらったと思っています。中学時代はちょうど校内暴力の嵐が吹き荒れた頃で、それが大きな影を落としていますから割り引いて考える必要があります。
 で、そういう幸せな学生生活を過ごした公立親は「お受験」にどこか割り切れない気持ちがあって、子供が私立に行くことに複雑な気持ちを拭えない、ということを複数の親に取材したルポルタージュになっています。

 嫁さんとも話したのですが、小中はともかく、お互い楽しい高校生活を送れて、大学の選択に不満もなく、さらにその大学生活も楽しかったことがその後の人生にいい影響を与えている部分が大きいなと思いました。つまり、自分の意志で人生の決定をはじめる時期に、ある意味納得していること、誰かに押しつけられて選択したという意識を持っていないことがその後の山あり谷ありの社会人生活を戦い続ける自信につながっているんだな、という想いが共通していることが幸せなんだなと思いました。

 当然親の姿勢は子供の教育観に影響するわけですが、幸い札幌は私立より公立上位の土地柄で、いわゆる「東西南北」(注・札幌南・札幌北・札幌西・札幌東の4高)が頂点として東大や北大の合格率上位に君臨していて、首都圏や関西のように「お受験」至上の雰囲気ではないということです。地元の塾も「東西南北」への合格率を宣伝材料にしていますし。

 それ以上に、2人の娘は自分の意志で自分の好きなこと、自分に必要なことを選んで自分で努力しよう、という姿勢が親の目から見て感じられるので、そこをしっかり伸ばしてあげたいなと思います。公立だろうが私立だろうが、自分がここに行きたいと選んだ道を応援してあげる親でありたい、というのが一番かな。  

Posted by ジアス at 23:59Comments(0)子育て

2008年07月09日

産みたくても産めない~産婦人科医が消える国

 先週続けた「子供を歓迎しない国」の話の続きですが、、、

 北海道の新聞を読んでいると、大学の医局から派遣されていた研修医が引き揚げられたり、残った勤務医が過労で耐えられず集団退職したりして、根室、紋別、北見などといった拠点都市からも病院の診療科が維持できなくなっている、という現実が今年になってから相次いで報道されています。
 特に根室では町で唯一の産婦人科が閉鎖され、百数十キロ離れた釧路まで行かないとお産ができない、というとんでもない状態になっているようです。それ以前から離島や僻地ではすでにその状態でしたが、もはや数万人が住む町でもそのような状態になっています。

 が、そのような話は過疎地に限った話ではなく、出生数が全国一の大都会の横浜でも同様の理由で産婦人科を閉鎖する病院が相次ぎ、2002年に68カ所あったのが今年は49カ所まで減ったそうです。
 すでに旭区、栄区ではゼロになり、緑区も今年の秋にゼロになる予定、さらには南部の港南区・金沢区では隣接の横須賀市が崩壊状態で横浜市の病院に流れ込む関係で倍率アップ、さらには今まで里帰り出産していた約1割の人たちが、田舎で産む施設が無くなったために帰れずに横浜で産む比率が増加中と、まさに事態は崩壊寸前の危機的状況です。

 この引き金になったのが2004年の福島県の病院の医療事故で、帝王切開の妊婦が出血多量で死亡し、担当医が業務上過失致死で逮捕・起訴された事件です。それを機にリスクを回避するために過酷な1人体制の産科の閉鎖が相次いでいるそうですが、その根本原因は過酷な状態を生んだこの国の医療行政の責任でしょう。「うまく行って当たり前」で何かあれば過剰な攻撃を現場で身体を張っている産婦人科医に押しつけているようでは、産婦人科医のなり手がなくなって当然ではありませんか。
 今の医師志望者でも、昼夜休日無く患者を診なければいけない産婦人科医、小児科医、外科医の希望者が減っているそうです。

 先週のAERAにこの状態を憂う現役産婦人科医の森田豊さんと、「チーム・バチスタの栄光」で有名な現役勤務医の海堂尊さんの対談が載っていて、病棟で唯一明るいはずの産科のなり手がいないのは皮肉で、病院という組織のグランドデザインの問題だと。その先に続けられる提言は、会社という組織を考える私の仕事にも非常に参考になりました。

 今の産婦人科の現場を支える30代40代の産科医の過半数が女性で、彼女たちが勤務の過酷さゆえに自分の出産をあきらめている現実はどう考えても変です。産婦人科医を志した女性はきっと子供が大好きな人が多いはずで、そんな人たちに犠牲を強いていざとなったら責任を押しつけるこの社会のシステムが正しいとは思えません。

 この危機は産婦人科に限らず、小児科や外科でも起きている話に共通した点が多く、対談の最後には「小学校の3年生ぐらいから、理科の半分を医学教育にするといい」という話を海堂さんがされています。まさに同感です。英単語を覚えるより、「傷の治り方やなぜ膿むのか」がわかれば、ある程度自分でけがを治せるし、それが医療現場の負荷の軽減につながりますよね。

 少々のけがや病気では絆創膏も貼らないし薬も飲まない私は、強くそう思います。
 海堂さんの「ジーン・ワルツ」、読んでみようかな。  

Posted by ジアス at 22:58Comments(0)子育て

2008年07月02日

松坂大輔の子育て

 子育てネタを続けます(笑)。

 昨日紹介したAERAのトップ記事「2人目はもう産めない」のサブタイトルが、「母親だけが苦しむ」というタイトルです。
 世の中の男にとっては耳の痛いタイトル、あるいは「そんなの関係ねぇ~」というタイトルかと思いますが、後者は論外として、前者が意外に根深い問題を抱えているという気がします。
 夫にとって自分が与えていると思っているgiveが、妻にとっての十分なtakeになっていないとしたら?

 以前よく嫁さんと話していたことが、「自分にとってたいして負担にならないことが相手にとってありがたいという関係が、夫婦がうまくいくコツだよね」ということです。幸いなことに、お互い相手が苦手なことをフォローしあうことがお互い負担にならなかったことが、私たち夫婦がうまくいった大きな要因だと思います。例えば、私は料理が大の苦手ですが、嫁さんは逆に大好きで、ストレスを発散するために料理を作る、というタイプ。さらに食べ物の好みが似通っていたので、私がどんなに仕事で遅く帰っても、自分の好きな料理が食卓に並んでいる、という幸せな状態でした。でも、彼女は後片付けが苦手で料理で使った鍋などもほったらかしだったりするのですが、それは私があとでまとめて片付けるとか。
 逆に嫁さんは家計簿をつけたりお金の管理が苦手なので、それは今でも私が一手に面倒を見ています。単身赴任生活の今でも、札幌に帰ると家計簿をつける仕事が私を待っています(笑)。でも、まあそれは私にとってはたいした負担じゃないし、家庭の社長たるもの自分の会社の財務状況がわからなくてどうする、という意識でパソコンに向かっていますからね。

 これが逆になると辛いですよ。だって、「自分はこんなに努力しているのに、相手が協力してくれない」という負のスパイラルに落ちちゃいます。お互いそう思っているので、相手を非難し、泥沼化します。この記事の中でも、「21時以降の帰宅は論外で、育児のコアタイムに帰れないならもう遅くて結構、というのが妻の本音でしょう。」という話が出てきますが、私も札幌を離れる直前はどうあがいても帰宅が22時という生活だったので、これがフルタイムの共働きだったらとても妻が持ちません。妻が希望する夫の帰宅時間は19時というアンケート結果が出ていますが、これが首都圏の平均通勤時間90分にあてはめると、17時半に職場を出られる夫はどれだけいるのでしょう?

 このことだけを考えても、結局仕事をやめたり定時に帰れるつまらない仕事に変わったり、女性だけが負担感を増す確率が高いのは客観的な事実ですね。これは子育ての内容に踏み込んでいない、単なる時間的制約条件の話をしているだけですから、まずこれが第一の高いハードル。

 ちょうどその記事の横の囲み記事に、柴田倫代さんのインタビューが載っています。柴田さんはあのボストン・レッドソックスの松坂投手の奥さんですが、アメリカでは3人4人兄弟が当たり前で、アメリカは日本と違って子育てがしやすい社会で、自分の価値観を変えることができたと言っています。松坂投手のプレッシャーを考えると、子育てにとてもエネルギーを割ける状況じゃないと思いますが、それでも社会という周りが子育てをする親子を暖かく受け止めてくれる状況だと、「主人も協力的になりました」というコメントが奥さんから出るんですね。だって、メジャーリーグの選手なんて、狭い日本で単身赴任の私以上に、過酷なスケジュールで全米を飛び回っていて、さらに短期間で結果を出さないといけないんですから。私の仕事のプレッシャーを松坂と比べるなんておこがましすぎますが(^^;;、そんな松坂に頭が下がる思いです。

 つくづく、日本の社会のシステムは遅れているというか、子供を歓迎しない社会であって、適齢期の女性に「子供を産もう」という意欲なくして、少子高齢化の解決はありえないと思いますね。
 子供を産んでも、健全なtakeが妻や子供に与えられない社会が、過剰な甘えや、すぐキレる子供を作る遠因になるし.....

 時間的制約の解決は、まずそこに「いない」という問題を解消する糸口になるだけで、「いたら」それでいいのか、という話は改めてしましょう。

 
  

Posted by ジアス at 22:49Comments(0)子育て

2008年07月01日

子供を産みたくても産めない国

 子育ての話が続いちゃいますが......

 今週のAERAの記事はなかなか衝撃的な記事が集中しています。
 そのベースになっているのは「2人目はもう産めない」という、今時の女性が1人目の子育てでエネルギーを使い果たしてしまい、2人目を産みたくても産めない環境にある、という衝撃的な記事です。
 といっても自分にとっては「衝撃的」ではなくうすうす感じていた話です。周囲から聞く話と自分の経験から、1人目と2人目の間にはさまざまな理由から実は大きな壁があり、わが家はいろんな幸運が重なって2人の娘を育てることができている、というのを客観的に思いますから。

 それ以外にも、記事のタイトルだけで、「開設1年「赤ちゃんポスト」子捨て親の事情」「横浜産科次々閉院「お産難民」大量発生」「ハケンは一人も産むなという最悪環境」「医療崩壊は国策で誘導された」という衝撃的なタイトルが並び、その記事の一つ一つに私としてはコメントしたいことがいっぱいあります。
 さらには、これらの記事と直接関係がない「貧困ビジネスの「光と影」」「米高校生17人同時出産と大統領選の関係」「柏市一家殺害事件77歳老人とアキバ事件との共通点」「大分県「教員裏口採用」一人200万円」という記事も私の中では関連を持ってつながってしまいます。

 一言で言うと、この国の仕組みは「未来を担う子供の誕生を歓迎しないシステム」になってしまっていて、それを官民あげて助長するシステムになってしまっていて、自分の子供たちの世代に安心して引き継げる社会には少なくとも向かっていないということを強く感じます。
 もう20年以上も前に、まだ大学生だった自分が、当時登校拒否児のカウンセリングをしたりしながら、「この国は内側から崩れていく」と漠然と感じていた不安が、少しずつ具体的に現実化している恐怖を感じます。
 その恐怖に比べたら、ガソリンの値上がりなんて相対的に小さく思えてしまうぐらい、怖いです。

 でも、その恐怖を突き破ることができるのは、私の仕事の座右の銘のひとつでもある、「いま、自分が立っている場所から何ができるか」というポジティブ思考。それを自分のできる範囲で必死で考え続けると同時に、若い世代に少しでもその想いを伝えていくことしか、できそうにありません。
 それでも、私は未来を信じています。信じられなくなったら終わりですから、あきらめずに、死ぬまで信じ続けて行動しようと思います。
  

Posted by ジアス at 23:15Comments(0)子育て

2008年06月29日

父親と母親の子供に対する影響力の相対的な比率

...って考えたことありますか?

 統計的な数字があるわけではないので、自分の経験からくる個人的な感覚だということは最初にお断りしておきますが、子供が生まれた瞬間は母親が100%に対し、父親がゼロだと思います。
 「子供が産まれた」という知らせを聞いて病院に駆けつけたが、最初に自分の子供を見て思ったことは「この子が自分の子供なのか」という感想だった、ということを男親から聞くことがあります。私の場合長女の時は出産の瞬間に立ち会うことができたので、自分の子供だという実感はありましたが、それって実は父親の自己満足に過ぎません。なぜなら、子供の側から考えると、生まれた直後の赤ちゃんは母乳、あるいは母親に抱かれるというスキンシップを通して自分の母親を認識しますが、生まれた直後に1~2度抱いた父親と、自分を取り上げてくれた医師や助産師との違いをどうやって認識できるのでしょう?それは自分の体の中で子供を育んできた女性と男性の生物学的な違いを冷静に受け止めるべきです。

 子供が父親をはじめて認識するのは、退院して家に帰ってきて、母親以外に抱っこしてくれたり、なんだかいつも聞こえる声がする、というところが出発点かと思います。ここが子供にとってゼロから0.何パーセントになる父親の出発点(笑)。
 子供が小さい頃は、やはり子供は普通は父親より母親を求めます。接触している時間も父親より母親の方が普通は長いし、母親にはおっぱいだったり、抱っこしてくれる温かさがありますからね。

 で、いきなり話が飛びますが、私の人生の夢のひとつは「娘の結婚式で思いっきり泣くこと」。この時点で子供に対しての父親:母親の影響力の割合が50:50になれば私の理想です。つまり、ある意味私の子育ての最終ゴールはそこにあります。私の子供に対する教育方針を一言で言うと、「子供は母親の胸を見て育ち、父親の背中を見て育つ」ですかね。つまり、子供が自立するにあたって最も重要なことは、自分を無条件に愛してくれる人がいる、という母親的(あえて「的」とつけます。なぜなら片親ならば両方の役割が必要だし、男女が性別に縛られず逆転するのも今の世の中ではありだと思うからです)な温かさと、どうやって自分の知らない外の社会と向き合っていけばいいか考える、という父親的な厳しさが必要だと思うからです。
 最終的な父親の着地点が50%になればいい、というのは私の勝手な願望であって、それが40%でもかなりの成功だと思いますが、娘が次の世代を育むことを考えると50%を超えるべきではないと思うし(爆)、かといって1割や2割では寂しすぎますよね(笑)。下手したら世の中にはマイナスに転落しちゃう父親もいると思いますが......

 でも、ここで重要なことがひとつ。長い子育ての期間を通して、影響力が半分以下でいいならやはり子育ては父親じゃなく母親が主の仕事、と短絡的に考えてほしくありません。父親にとって重要なことは、このような影響力の比率になることを見越して、母親が十分な影響力を与えられる環境を母親と子供の間に作ってあげることです。上司がチームの業績を上げるために部下が働きやすい環境を作るために、家庭の社長(25日の記事を読んでね)にとって一番大事なことだと思います。子供への影響力が相対的に小さくても、その分母親(つまり自分の嫁さん)に対して十分なエネルギーを割くことが父親の重要な役割になります。それは金銭的なこともあり、環境的なこともあり、広い意味では今のはやり言葉の「ワークライフバランス」ということでしょうか。
 ゼロから出発して子供の成長にしたがって自分の存在感を、自分の想いをどうやって子供に感じてもらうか、それが父親の子育ての醍醐味なんじゃないかなあ。

 というようなことを、梅雨空の雨が降る東京で、ごろごろ本を読みながらつれづれなるままに考えていましたとさ。
 こんなことを考えるきっかけになったお勧め本はあるのですが、それはまた明日以降にでも。
  

Posted by ジアス at 21:55Comments(0)子育て

2008年06月25日

人生の成功法則見つけた!?~「自分の家庭株式会社」という発想

 唐突ですが、こんなうさん臭いタイトルですみません。
 最近は英語の本を全く読まず、日本語のそれもビジネス書ばかり読んでいます。

 というのも、6月に入って実は突然の組織変更があり、他社からスカウトされた役員の方が私の上司になりました。で、この方がとても頭が切れる方で、生え抜きの役員の方々にずけずけ言いにくいことを言う一方で、部下になった私たちのチームにも強烈な影響力を及ぼすようになりました。
 一言で言うと、今までの自分の仕事に対する考え方をがらっと変えないとついていけないんじゃないかと思うくらいです。人当たりが非常に良い方なので、直接厳しいことは言わないんですが、要求水準が非常に高いレベルにあることがわかるのです。というわけで、「相手の期待を少しでも上回ること」を仕事上のモットーにしてきた私のハードルが上がりました(汗)。

 で、今夜も仕事が終わった後、食事をしながらある本を読んでいて、突然ひらめいたことがタイトルに書いたこと。
 読んでいた本はあるコンサルタントの方が書いた純粋に仕事の本で、仕事に対する合理的な考え方を説く本なのですが、自分はこれまで無意識のうちにその考え方をプライベートの分野で実践していて、その考え方を仕事に持ち込めばいいんだ、というひらめきです。

 仕事と家庭の両立は難しい、仕事に全力投球すると家庭に歪みが生じる、という悩みを抱えている方は多いと思います。私の場合幸運なことに、嫁さんがすごく適切なフォローをしてくれているので単身赴任というゆがんだ状態でもなんとかやっていけていますが、こういう状態を作ることができたのは、仮に自分を家庭という会社の社長として考えるという発想を持つといいんじゃないかということです。

 家庭という会社では、例えば自分を社長兼収入を稼ぎ出す営業マンとして位置づけます。すると、嫁さんは会社の中を守る総務兼経理兼人事担当副社長兼営業アシスタントのような存在として位置づけられます。子供という社員に対しては教育研修担当かな。でも、部下には得手不得手があって、副社長の苦手な分野を見抜き、そこは副社長を育てて権限委譲するか、社長が自分でやるかは社長判断です(笑)。わが社の場合は経理部門は社長直轄です。そのかわり社長は総務と人事が苦手なのでほとんど口を出しません(爆)。でも、社員に対しては副社長の助言に従って役割分担してます。必要な時に訓示を垂れたり、社長特別賞を出したり(笑)。

 つまり、家庭を自分の経営する会社と見立てて考えると、案外仕事と家庭の共通点を見いだせるのではないかということです。
 もちろん、その大前提条件として、会社の経営方針、つまり、どういう家庭にしたいかというベクトルが一致していないといけませんが。わが家の場合、社長の営業方針だとか、副社長の管理方針だとか、投資計画(得た収入を何に使うか)という大筋が一致していますし、そこを合意する役員会(笑)には今でも大きなエネルギーを割いています。会社によっては夫婦で上下のない共同経営者なのかも知れませんし、奥様が社長でもよいと思います。それぞれの役員会で決めてください。でも、大事なことは、役員会が開かれない会社はないし、ある役員が一方的にしゃべって他の役員が黙っている役員会って、あんまりうまくいってないですよね(笑)。
 ついでに言えば、社員は基本的には役員会の決定に従うべきものです。自分で独立して経営が独り立ちするまでは、社員の意志は重要な経営の意志決定には反映されません。ただし、社員が能力を発揮できる環境整備は経営陣の仕事ですし、社員のやる気をそがない福利厚生の充実も経営陣の役目です。また、一方的な経営方針の押しつけは社員の反発を招きます。社員には十分なコミュニケーションをとって少しずつ難しい仕事を任せていくべきで、会社の仕事を何も教えないのはよくないですね。

 少なくとも私はそういう発想で考えているから、どっちの会社が大事か、1つを選べという究極の選択を迫られたとしても、自分の家庭だ、という答えを出せます。それが自分のもう1つの会社(世間的にはこっちが本業ですが)に十分なエネルギーを割くための秘訣なんじゃないかなあ。  

Posted by ジアス at 23:32Comments(0)子育て

2008年04月03日

桜の咲く頃に生まれる子供

 大阪から夜の新幹線で東京に戻ってきました。

 新大阪からのぞみに乗ったら、後ろの席のご婦人が携帯で誰かと話し始めました。
 相手は娘さんのようで、話の内容から子供がまさに生まれそうな東京在住の娘の元に大阪から母親が駆けつける、ということらしく、私も10年前を思い出しました。

 10年前のちょうど桜が咲くこの時期に、うちの下の娘も生まれようとしていました。
 うちの嫁さんの実家は東京なので、嫁さんと上の娘が東京に戻り、私だけが札幌の自宅に残っていましたが、3月の下旬に「生まれそう!」という連絡を受けて、仕事が終わった後の夜の飛行機に飛び乗って東京に向かいました。

 東京に着いて向かった先はある助産院です。病院で促進剤とかを使って生ませるのじゃなく、自然に子供が生まれてくるのを受け入れたかったのです。上の娘の時はその助産院で生まれ、当時は東京在住だったので私もその瞬間に立ち会うことができました。だから、次の子供の時もこの助産院で産むことに全く迷いがなかったのです。
 ほとんど終電の時間に転がり込んだのですが、どうも陣痛おさまっちゃったらしく、その晩のお産はありませんでした。
 翌日、嫁さんと桜の咲く公園を散歩したりして、子供の話をしたりしてましたが、結局翌日も翌々日も生まれず、私は仕事の都合で札幌に帰りました。
 帰った後で「産まれた!」という知らせがあり、結局私は下の娘の出産には残念ながら立ち会えませんでしたが、東京で桜を見るとその年の桜を思い出します。

 結局彼女は予定日を大きく過ぎて4月に入ってから生まれたので、当初の私たちの想定より学年が1つ下になったのですが、「きっとそれも彼女が望んだことなんだね」と私たちは考えています。
 ことしで10歳、この春から4年生になる彼女は、元気いっぱいに学校に通っていますから(^^)
  

Posted by ジアス at 23:59Comments(0)子育て

2008年01月10日

反面教師

 昨日の記事にacha758さんからコメントをいただきました。
 ありがとうございます。

 「反面教師」っていう言葉を見て思ったのですが、「反面教師」と言えるということは、自分が自分に対する評価軸をきちんと持っていることが前提になりますね。
 ひどい先生に対し、「それは違う」という意見があるから「反面教師にしよう。絶対にあのようにはならないぞ!」と心に誓うわけですから。自分の意見がないとグチを言うだけで終わるか、気づかずに先生と同じひどい方向に流されるか、どっちも自分の子供にはとってほしくない態度です。
 正しいことは勇気を持って「正しい」と言えれば一番いいけれど、そうは言えないこともあるじゃないですか。
 そんな時は心の中で「反面教師にしてやる」とつぶやいて、正しい努力をしてほしいと思います。

 子供は親を選べないし、
 生徒は先生を選べないし、
 部下は上司を選べないし、
 人は自分の生まれた国を選べない。

 簡単に変えられないことがたくさんあります。
 でも、自分の目指したい方向と、今与えられた環境の中でどうすればベストかを考えることを決して忘れないでほしい、というのが子供たちに伝えたいメッセージかな。

 「反面教師」を持てるぐらい強くなれ!ということがまずは大事、ってことで。
  

Posted by ジアス at 23:16Comments(0)子育て

2008年01月09日

いやな先生への対処法

 名古屋に来ています。

 名古屋には過去に何度か来たことはありますが、泊まるのは実は初めてです。
だって仕事が終わればたいてい夜の新幹線に飛び乗って東京か大阪に向かっていましたから。
 今回は東海地方を2日かけて巡回するスケジュールを組んで、はじめての名古屋泊まりを画策しました。

 というわけで、せっかくですから名古屋で英語の多読仲間に声をかけて、食事に行ってきました。
名古屋名物の手羽先でビールも進み、いろんな話題で盛り上がりましたが、いちばん盛り上がったのは「日本の学校教育を受けると英語が嫌いになる」という話でした。

 過激な意見ですが、英語に限らず、「学校教育に(先生に)過度な期待をしちゃいけない」が私の本音です。
尊敬できるいい先生に出会えれば幸せですが、残念ながらそうでない先生にあたることもあります。
生徒が先生を選ぶことはできませんから。
 不幸にも良くない先生にあたっても、教育を受ける側が不利益を被らない方法は、「ちゃんと教えてくれなくても自分で必要な勉強をする」ことができるかどうかだと思います。
 「教えてくれる」ことを期待するからダメなのであって、勉強なんて「教わる」のではなく自分で自主的にやるものだ、という意識を持っていれば、先生との相性が悪くても自分で勉強できますし、先生との相性がよければより一層効果が出ます。
 いい先生にあたればラッキー、ぐらいの気持ちでいれば落胆しません。
 幸い、これまでの2人の娘たちの先生は、みんないい先生ばかりで、非常に感謝しています。

 自分の人生を振り返ってみればわかりますが、大学や社会人になれば、教わることなんて期待してちゃだめですよね。
 自分から進んで必要なことは勉強して、自分の力にしていく、そういう意識を子供にはつけさせたいと思います。
 だって、いつまでも親が手助けしてあげられるわけじゃないですし、自分で判断して生きる力をつけさせるのが親が子供になすべき重要な努めの1つだと信じています。

 ついでに言うと、娘たちには「男を見る確かな眼」をどれだけつけてあげられるかも親の努めだと思っています(笑)。
 この話はまた別の機会に......

   

Posted by ジアス at 23:56Comments(1)子育て