2008年07月29日
本を読む速さは人それぞれ~「DEATH NOTE」から
つい最近、わが家で同じ本を4人がほぼ同じ時期に読む、という珍しいことがありました。その時に面白い発見をしたので、今日はその話をします。
読んだ本は英語じゃなくて、日本語のコミック「DEATH NOTE」です。一昨年に連載が終了し、その後アニメ化・映画化されたのでご存知の方も多いと思いますが、ひょんなことから嫁さんが先々週に全部で12巻大人買いしました。すると嫁さんも子供たちも先を争うように、テレビもつけずに夢中で読んだらしく、それを聞いて私も読み始めたら面白い!札幌に帰っている間に読み切れなかったので、後半は東京に持ち帰って最後まで読みました。
知らない方のために補足しておくと、「DEATH NOTE」は、そのノートに名前を書くと書かれた人が死ぬという死神のノートを軸に、ノートを使って犯罪者を裁き新世界を築く野望を抱いた男と、それを大量殺人犯として追う探偵との戦いの物語です。相手の裏の裏の裏まで読みあう壮絶な心理戦が展開し、コミックですが話が複雑で文字が多いと有名で、読み飛ばすのは簡単ではありません。
面白かったのは、この本の読み方が2人の娘の間で全く違ったことです。それを発見したのは嫁さんで、「上の娘(中1)は50%理解できればよいぐらいの感じでどんどん読んでいるけれど、下の娘(小4)は120%理解したいみたいでじっくり読んでいる。私は70%ぐらいかなあ。結末を知りたくてどんどん読むけど、上の娘の速さにはかなわなかった。」ということでした。そこで上の娘に聞くと、「きっと何度か読むから最初はざっと話の筋を知りたいし。字が多くて大変だったけど2回目はもっとじっくり読むと思うよ。」という答えが返ってきました。
つまり、上の娘は再読前提で全体を俯瞰することを優先しているということで、国語の長文問題や新聞・雑誌などで有効な読み方をすでに身につけているということです。一方、下の娘は登場人物の心の動きなどを細かく読みながら一度で物語を理解したかったみたいです。
ところが、児童書を読んでいる時はこの読み方とは違い、上の娘はじっくり読んでいて、下の娘の方が同じ本でも読速が速いことが多いというから面白いんです。マンガは再読するにしても気になる部分をすぐに探してそこだけ読むことができるけど、小説でそれをするのは難しく、章の頭とか物語の最初から読み返さないとわかりにくいと思います。上の娘の読み方は私の読
み方に近く、ざっと読むものとじっくり楽しむものを区別して読んでいるのに対し、下の娘は発展途上というか、彼女の読む小説は常に姉を追いかけるようなキリン読みだからのことが多いからだと思います。だから本の難易度で読む速さが変わるのでしょう。下の娘は、時間をかければ自分が理解できそうかということを意識しながら読む速さを変えているとも考えられます。
「DEATH NOTE」の場合はマンガで絵が助けになるので、理解できると判断したのでしょう。
ちなみに嫁さんは「小説はもっと速くて50%ぐらいの理解度で結末を急ぐ読み方なので、DEATH NOTEは時間がかかった。」そうです。自他共に認めるせっかちで、考える前に体が動く人なのでわかるような気がします(笑)。仕事の難しい本以外、何かをじっくり読んでいるのを見たことがありません。
こうして考えると、同じ本を読む速さも人によって個性があり、さらにはその本をどのように読みたいか、という意識によっても読む速度は変わるということです。
英語の本を読むときでも、自分が楽しんでじっくり読みたいのか、どんどん飛ばし読みしてでも結末を急ぎたいのか、それを同じ尺度で測れるわけではないということですね。ましてや他人との比較は意味がないということになります。
え?私はどうだっのかって?
再読の時間はなさそうなので一度で理解しようとして読んでましたね。でも、実は13巻という全体の解説本があって、それを読むと自分が見落としていたことがあって、気になったのでもう一度読んでます。それぐらい、ハマっちゃいました(笑)。
#今日の記事は私がコラムを書いている「SSS英語多読研究会」のメルマガ「SSS多読通信219号」のコラムに掲載したものです。
読んだ本は英語じゃなくて、日本語のコミック「DEATH NOTE」です。一昨年に連載が終了し、その後アニメ化・映画化されたのでご存知の方も多いと思いますが、ひょんなことから嫁さんが先々週に全部で12巻大人買いしました。すると嫁さんも子供たちも先を争うように、テレビもつけずに夢中で読んだらしく、それを聞いて私も読み始めたら面白い!札幌に帰っている間に読み切れなかったので、後半は東京に持ち帰って最後まで読みました。
知らない方のために補足しておくと、「DEATH NOTE」は、そのノートに名前を書くと書かれた人が死ぬという死神のノートを軸に、ノートを使って犯罪者を裁き新世界を築く野望を抱いた男と、それを大量殺人犯として追う探偵との戦いの物語です。相手の裏の裏の裏まで読みあう壮絶な心理戦が展開し、コミックですが話が複雑で文字が多いと有名で、読み飛ばすのは簡単ではありません。
面白かったのは、この本の読み方が2人の娘の間で全く違ったことです。それを発見したのは嫁さんで、「上の娘(中1)は50%理解できればよいぐらいの感じでどんどん読んでいるけれど、下の娘(小4)は120%理解したいみたいでじっくり読んでいる。私は70%ぐらいかなあ。結末を知りたくてどんどん読むけど、上の娘の速さにはかなわなかった。」ということでした。そこで上の娘に聞くと、「きっと何度か読むから最初はざっと話の筋を知りたいし。字が多くて大変だったけど2回目はもっとじっくり読むと思うよ。」という答えが返ってきました。
つまり、上の娘は再読前提で全体を俯瞰することを優先しているということで、国語の長文問題や新聞・雑誌などで有効な読み方をすでに身につけているということです。一方、下の娘は登場人物の心の動きなどを細かく読みながら一度で物語を理解したかったみたいです。
ところが、児童書を読んでいる時はこの読み方とは違い、上の娘はじっくり読んでいて、下の娘の方が同じ本でも読速が速いことが多いというから面白いんです。マンガは再読するにしても気になる部分をすぐに探してそこだけ読むことができるけど、小説でそれをするのは難しく、章の頭とか物語の最初から読み返さないとわかりにくいと思います。上の娘の読み方は私の読
み方に近く、ざっと読むものとじっくり楽しむものを区別して読んでいるのに対し、下の娘は発展途上というか、彼女の読む小説は常に姉を追いかけるようなキリン読みだからのことが多いからだと思います。だから本の難易度で読む速さが変わるのでしょう。下の娘は、時間をかければ自分が理解できそうかということを意識しながら読む速さを変えているとも考えられます。
「DEATH NOTE」の場合はマンガで絵が助けになるので、理解できると判断したのでしょう。
ちなみに嫁さんは「小説はもっと速くて50%ぐらいの理解度で結末を急ぐ読み方なので、DEATH NOTEは時間がかかった。」そうです。自他共に認めるせっかちで、考える前に体が動く人なのでわかるような気がします(笑)。仕事の難しい本以外、何かをじっくり読んでいるのを見たことがありません。
こうして考えると、同じ本を読む速さも人によって個性があり、さらにはその本をどのように読みたいか、という意識によっても読む速度は変わるということです。
英語の本を読むときでも、自分が楽しんでじっくり読みたいのか、どんどん飛ばし読みしてでも結末を急ぎたいのか、それを同じ尺度で測れるわけではないということですね。ましてや他人との比較は意味がないということになります。
え?私はどうだっのかって?
再読の時間はなさそうなので一度で理解しようとして読んでましたね。でも、実は13巻という全体の解説本があって、それを読むと自分が見落としていたことがあって、気になったのでもう一度読んでます。それぐらい、ハマっちゃいました(笑)。
#今日の記事は私がコラムを書いている「SSS英語多読研究会」のメルマガ「SSS多読通信219号」のコラムに掲載したものです。
Posted by ジアス at 23:23│Comments(0)
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