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<<マスターのプロフィール>>

・ネットの世界ではジアスと名乗っています。
・生まれは関西。東京から札幌に移住し、東京単身赴任を経て札幌に舞い戻った40代の勤め人
・札幌の自宅に嫁さんと娘がふたり
・趣味は酒、読書、映画、旅。特に英語の本を原書で読むのが楽しみ。

<<このサイトは>>

 私が読んだ本、観た映画の個人的な感想を中心に、仕事や日々の生活で思ったことなどをつぶやくこともあるブログです。仕事から帰って、ゆっくりグラスを傾けながら書き込むつもりですので、お読みになるみなさんもぜひ一緒に飲んでいるような気持ちで、ゆったりとお話できれば幸いです。

<<このBARの名前について>>

 "Clock in a forest"は、「森の時計」という喫茶店の名前から拝借しています。「森の時計」は、2005年1月〜3月に、フジテレビ系で放映された倉本聰氏脚本のドラマ 「優しい時間」 の舞台となった喫茶店の名前です。その店には「森の時計はゆっくり時を刻む」という倉本氏自筆の額が飾られていました。
 今のビジネスや社会は、「時間」をどんどん速く刻むことが競争に勝つための必須条件であると思えるかのような、非常に息苦しい状態になっていると思います。そんな中で生活するみなさんが、ほっと一息つけるような、そんなサイトになるといいな、というのがマスターのささやかな願いです。
 ちなみに、喫茶店「森の時計」は、ロケに使われた状態のまま、新富良野プリンスホテルの敷地内で営業しています。
























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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2012年01月29日

ちっちの物語その46~救急車

 元旦の夜になりました。
 昼前にお雑煮を食べていましたが、おせちにはまだ手をつけていませんでした。

 ちっちは食欲がないようでしたが、「おせちは気分が良くなったら食べられるように少し残しておいてくれればいいから、みんなでおせちを食べて。パパもママもお酒も飲んで。」と言ってくれました。
 わが家ではお正月にお酒を飲んで買い物にいかなくても大丈夫なように、2~3日分もつようにおせちを作りますから、今夜で食べきれるような量ではありませんし、妻も昨夜はほとんど寝ていませんでしたからあまり食欲も無いようでしたが、それでもみんなで、いつもの年と少しでも同じようにお正月を祝いたいという気持ちがあったので、おせちを出して19時頃から食べ始めました。

 わが家のリビングは食事をする大きな座卓が、11月に買ったばかりの液晶テレビの前に置かれていて、その後ろにソファが1つ置いてあります。ちっちは今日はずっとそのソファに座っていて、いまも食事をしている私たちのすぐそばで一緒に過ごしていました。

 ところが、ちっちが顔を少しゆがめて、「なんかいつもと違う。病院に行くので救急車を呼んで。」と言いました。急に苦しがりだしたり取り乱しだしたというわけではないのですが、なによりもあれだけ病院嫌いのちっちが、そして今日が元旦だということもわかっている上でそのようなことを言うのは、ただごとでないということを私たちは悟りました。

 私たちはすぐに救急車を呼び、電話でちっちの余命がわずかであること、搬送先がB病院がいつでも受け入れてくれるようにすでに話がついていること、そして元旦の夜に大騒ぎにならないように、サイレンを鳴らさずにわが家の前まで来てほしいことを伝えました。
 ほどなく救急車は静かにわが家の前に止まり、救急隊の方々が担架を持ってリビングに入ってきました。

 大好きなわが家を出ていくちっちが、もう一度ここに戻ってくることはないかも知れないと思うと胸が張り裂けそうでしたが、そんなちっちに、ちっちの姉が「大好きだよ!」と優しく声をかけていたのが、とても心に残っています。

 救急隊の方々は手際よくちっちと、付き添いの妻を救急車に乗せて、20時頃にわが家の前を静かに離れていきました。この時もちっちは意識がとてもはっきりしていて、脇を抱えられると痛いので腰のところを持ってほしいなどと、自分の意思をしっかりと救急隊の人に伝えていました。

 2人が去ったリビングには少し手をつけたおせちが残っていましたが、それ以上食べる気にはなれず、とりあえず片付けてから後を追って病院に行こうと思いました。いつもならクルマでB病院に向かいますが、少しお酒を飲んでしまったので、タクシーを呼ぶことにして、ちっちの姉に「病院に行くけど深夜には帰ってくるから、申し訳ないけど少し留守番をしてて。」と言いました。
 まだ何日間か病院に泊り込むことを覚悟して、再入院のためにずっと準備ていた荷物を持って妻は救急車に乗りましたが、とりあえず病院に行ってから明日以降のことを相談しようと思っていたからです。

 そこに、妻から私の携帯に電話がありました。
  

Posted by ジアス at 13:51Comments(0)ちっちの物語

2012年01月15日

ちっちの物語その45~元旦

 ほどなく、私たちは片付けてそれぞれの寝室に入りました。

 この2~3ヶ月の間、ちっちが痛みを訴えるようになってからは、本来私たち夫婦が寝ていた2階の寝室でちっちと妻が寝るようになり、私は隣の和室で一人で寝るようになりました。そして、いままで2人で寝ていた子供たちの寝室の2段ベッドには、上段でちっちの姉が1人で寝ていました。

 ただ、この夜だけはちっちがなかなか寝付けなかったようでした。
 それまではシップをしたり光線をあてたり、座布団や毛布を使って楽な姿勢をとれるようにしてあげると眠ることができたのですが、この夜は苦しくてなかなか寝付けなかったようです。私も時々起きて手伝っていましたが、ちっちと一緒の部屋にいた妻はほとんど眠れずに朝を迎えたようです。

 ちっちはまだ具合が悪いようで、2階の寝室から立ち上がって下に降りることもできませんでした。2階のトイレに立つにも付き添いがいる状態でしたが、10時頃にようやく「下に降りる」と言ってちっちは1階のリビングにおりてきました。そしてリビングのソファに座りました。
 いつもは辛いときに光線をあてると、少し楽になったりしていましたので光線をあてましたが、この日はなぜか辛いようでした。自分で立ち上がって歩くこともできなかったので、私が使っているキャスター付きの椅子を持ってきて、トイレに行くときには車椅子代わりに使いました。

 新年をわが家で過ごすときは、こんな感じで朝からおせちとお雑煮を用意し、毎年正月用に注文した樽酒を開けるのが毎年の習わしで、この時もその準備はしていましたが、みんなあまり食欲がなく、お雑煮だけ用意しました。ちっちはその時は食べませんでしたが、夕方の16時頃になって少し気分がよくなったのかゼリーを少し食べました。
 喉に通りやすいゼリーがもう少しあればよいかと思い、ちっちに聞くと、ちっちももう少しあればいいと言うので、妻とちっちの姉が2人で、散歩がてら近くのコンビニにゼリーを買いに行きました。

 こんなにちっちの具合が夕方まで回復しない日は初めてでしたが、そんなわが家の情景を特別扱いすることもなく、穏やかに晴れた元旦の午後は、静かに暮れていきました。  
タグ :ちっち元旦

Posted by ジアス at 23:41Comments(0)ちっちの物語

2012年01月08日

年越しのメール

 ちっちとハイタッチをして数分後、妻とちっちの携帯が鳴りました。
 音を切ってあった私の携帯にもメールの着信がありました。

 ちっちの姉が、私たちに宛てたメールでした。

 とても素敵なメールでした。
 そして、彼女がどんな気持ちでこのメールを打ったかと思うと、
 本当にしっかりとこれからの彼女の人生を支えてあげなくてはと思います。

 そして何よりも、ちっちがこのメールを読めたことが、
 素敵なプレゼントだったと思います。

 以下、最後に彼女の本名が書かれていたところだけ省略して、
 原文のまま紹介します。

------------------------------------------------------------------------
 謹賀新年
 ありがとう
 本当にありがとう!!

 今年は素敵な1年だった。
 辛いことや楽しいことがたくさんあって、
 一緒にそれを感じられたし、
 家族として共に支え合えた。
 年越しをこんな風に迎えられて
 私は、本当に、嬉しくて、信じられないんだ。

 みんな大好き!!!

 今年も、これからもずっと、よろしくね。
  

Posted by ジアス at 17:04Comments(0)ちっちの物語

2012年01月06日

ちっちの物語その44~年越し

 学校は冬休みに入りましたので、ちっちも姉も毎日家で過ごすようになりました。受験生のはずのちっちの姉も、ちっちと一緒にゲームをしたり絵を描いたりと、一緒に過ごす時間が多くなりました。
 私は平日は相変わらず仕事に出ていましたが、昼間に決して悲しい顔を見せずにいつも通りの笑顔を見せて、時には言い合いながら遊んでいるという話を妻から聞いて、そんな姉妹のこれまで当たり前のように続いてきた光景が少しでも長く続くことを祈りながら仕事に出かける毎日でした。

 それでも29日にこの年最後の仕事を終え、30日は輸血のためにちっちを連れてB病院へ行きました。
 そして次の輸血は年明けの2日ということになり、年越しはゆっくり家族で過ごしてくださいね、という言葉に見送られてわが家に帰ってきました。

 そして大晦日は、いつもの年と同じようにわが家で過ごしました。
 その前の年の年越しも、入院中でしたが骨髄移植の前に外泊許可が出てわが家で過ごすことができたのですが、その時にあった希望の灯はいままさに最後の輝きを放とうとしていたのでしょうか。
 大晦日はおせちの準備も終えて、妻がごちそうを作り、ちっちの大好物のカニやウニや(どちらも生じゃなくて火を通しています)おせちのカズノコも少し出したりして、みんなで大画面のテレビを見ながらわいわい過ごすつもりでした。ところが、ちっちの姉は少し具合が悪かったようで、夕食もあまり手をつけず、そのあとの恒例の年越しそばも少ししか食べませんでした。
 そんな姉の様子を見て、ちっちが「お姉ちゃん大丈夫?」と心配していたのを覚えています。

 子供たちが見たがっていた「ガキの使いやあらへんで」と私たちが見たい紅白を何度もチャンネルを切り替えながら、桑田圭祐の復活を見て感動し、そして年越しのカウントダウンを迎えました。
 ちっちは私たちと一緒にカウントダウンをして、2011年を迎えた瞬間、私はちっちとハイタッチをして新年を祝いました。

 その時点では、その日のうちにちっちが天国に旅立ってしまうとは、まだ思いもしませんでした。
  

Posted by ジアス at 23:28Comments(0)ちっちの物語

2012年01月03日

ちっちの物語その43~車椅子

 クリスマスが明けた一昨年の12月26日は日曜日でした。

 朝から私たちは家族4人でB病院に行き、小児科病棟の空いている病室でちっちは輸血を受けました。ちっちは歩くのも少しつらそうな状態だったので、病院の入り口に車椅子を持ってきて、車椅子で病棟のエレベーターに乗り、小児科病棟に向かいました。
 輸血を受けると、少し顔色がよくなって元気そうになったので、私たちも少し安心しました。

 そのあと、クルマで札幌駅前に向かい、エスタの9階にあるポケモンセンターを目指しました。ポケモンセンターで売っているオリジナルグッズは定期的に入れ替わっていて、以前から時々新たなグッズを買いに子供たちを連れて行っていました。最新版のブラック・ホワイトをある程度やりこんだあとで、レシラム・ゼクロムをはじめ新たな人形やグッズが欲しかったようです。

 年末の日曜日で駅前の駐車場も混んでいましたので、私たちはエスタの前で妻と子供たちを先に降ろし、私がひとりで立体駐車場の空きを待つ列に並ぶことにしました。
 しばらく待って、ようやく駐車場にクルマを止めてから9階に向かうと、もうみんなポケモンセンターを出て、同じフロアにあるゲームセンターの休憩スペースのベンチにちっちは姉と一緒に座って待っていました。
 妻はちっちのためにクレーンゲームに夢中になっていましたが、見事子供たちが欲しがっていたゲームMOTHERのキャラの「どせいさん」の人形をゲットできました。

 エスタでは1階で車椅子の貸し出しがあることをあらかじめ調べていましたので、てっきり車椅子を借りたのだと思っていましたが、ちっちの近くに車椅子は見当たりません。聞くと、ちっちが「恥ずかしいからここでは歩く!」と言い張ったので歩いてエレベーターに乗って上がってきたそうです。
 何基か並んでいるエレベータのうち、一番左側のエレベータがベビーカーや、身体の不自由な人が優先のエレベータとして運転されていたそうで、本来ならばちっちは優先エレベータに乗せてもらえる権利があるはずなのに、車椅子に乗っていなければ見た目では重篤な病気には見えないので、結局一般の混んだエレベータで上まで上がってきたそうです。
 病院では車椅子に乗っても、こういう場所ではしっかりと歩くというところがちっちの意地だったのかも知れません。でも、ここは頑張る、と自分で決めたときにはやりぬく強い気持ちを、ちっちは最後まで持ち続けていました。
  

Posted by ジアス at 17:36Comments(0)ちっちの物語

2012年01月02日

あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。

 去年は誰かにそんな挨拶をほとんどすることもない正月でした。
 昨日の元旦がちっちの命日でしたから。

 わが家はどこかに出かけることもなく、4人で静かに正月を過ごしています。
 家族の分だけ雑煮とおせちを作って、重箱には4等分できるように、かまぼこや伊達巻などは4切れずつ入れました。そうして、ちっちと一緒に過ごしています。

 年末からわが家にはたくさんの花が届きました。
 いただいた花はみんな2階の和室の仏壇の周りに飾っていますが、とてもいい匂いがします。
 みなさんがちっちのことを想ってくれているのが、とてもありがたいです。

 去年の今頃は、その和室で眠っているちっちの周りに、たくさんの花が届いて、そしてちっちとお別れをするために、たくさんの方々がお見えになりました。そんな光景が嘘のように静かですが、私たちはこんな、家族だけで過ごす静かなお正月が好きでした。

 ちっちの物語も、改めてお読みいただいている方が増えているようで、ありがたいことだと思っています。こうして、ちっちが生きた証が、1人でも多くの方の心に残ることが、私にできるせめてもの願いです。
 もう少しお付き合いください。  
タグ :ちっち

Posted by ジアス at 18:30Comments(0)ちっちの物語

2011年12月27日

今年のクリスマスプレゼント

 そして、これが今年のクリスマスプレゼントの絵です。
 クリスマスイブの夜に、私たち夫婦の友人が夫婦で東京から来ていたのですが、食事の後で私たちが談笑している横で、上の娘は熱心に絵を描いていました。
 お客様がお帰りになった後で、彼女も寝た後、妻がちっちの仏壇のところに私を呼びました。
 仏壇の横にはまだちっちの遺骨が置いてあるのですが、その前にこの絵が置いてあったのです。
 そして、大きく書かれた「メリークリスマス」の文字の横に、小さく鉛筆書きで「今年も間に合ったよ!」と書いてありました。

 妻と2人で顔を見合わせて、少し涙を浮かべながら、私たちは微笑みました。
  

Posted by ジアス at 23:49Comments(1)ちっちの物語

2011年12月26日

去年のクリスマスプレゼント

 これが、昨日の記事で触れた、ちっちの姉がちっちに昨年のクリスマスプレゼントであげた絵です。ちっちは自分で絵を描いてもいましたが、姉の絵も好きでしたね。だから、この絵をもらったときにすごく喜んでいました。  

Posted by ジアス at 23:59Comments(1)ちっちの物語

2011年12月24日

ちっちの物語その42~クリスマス

 今日はクリスマスイブですね。
 でも、毎年飾っていたクリスマスツリーを、今年は飾りませんでした。
 元旦が命日なので、年内に一周忌をすることにして、先週の土曜日に和尚さんに来ていただきました。それを過ぎてから飾ろうかと考えていたのですが、結局出さずにイブがきてしまいました。
 ちっちが入院するまでは12月になったら窓やガレージに電飾を飾っていたのですが、それも飾らなくなってもう3年経ちます。
 今年のクリスマスは、なんだか私たち夫婦も少しブルーになっています。でも今夜は、東京から昔からの友人が来るという連絡がありましたので、少し気もまぎれるといいな。

 去年のクリスマスは、ちっちが早々にクリスマスツリーを飾ってくれました。
 クリスマスイブは終業式の日でもあったのですが、ちっちは式には出ず、式の後のホームルームの時間にあわせて、妻と一緒に学校に行きました。
 学校ではクラスのみんなで集合写真も撮りました。仲の良い友人たちとも一緒に写真を撮ったり、校長先生や保健室の先生も来てくれて一緒に写真を撮りました。クラスの子供たちにはちっちの病状の悪化のことは話していませんので、きっと冬休みが終わったらまたちっちと会えることを疑っていなかったと思います。

 家に帰ってくると、ちっちは少し気分が悪くなったのですが、3時に養護学校の先生が来るということを聞くと、「それまでには頑張って元気にならなくちゃ」と言って、笑顔で先生を迎えられるようにと、少し遅い昼食のおにぎりを頑張って食べました。。
 そして3時に、ハロウィンの時にも扮装して来てくれた養護学校の先生方が、今度はサンタさんに扮して来てくれたのです。ちっちといろいろ話したり遊んだりして楽しい時間を過ごしている間に電話が鳴り、小学校の先生が「これからさっき撮った写真を届けていいか?」という用件だったのでもちろんOKしました。
 しばらくするとわが家のインターフォンが鳴ったので出てみると、担任の先生が現れ、その後ろに保健室の先生がトナカイの扮装をして現れました。そしてその後はサンタかと思いきや、隣のクラスの先生がアンパンマンの扮装で現れました。ちっちはもう大笑いして喜んでくれました。

 先生方が帰ると、「これからクリスマスケーキを作りたい」とちっちが言い出しました。本当はもっと早く始めるはずだったのですが、先生方のサプライズで夕方からの開始になりました。それでも、ちっちはとても楽しみにしていたので、夕食のごちそうを作る妻の横でケーキ作りを始めました。
 わが家のケーキ作りは一からスポンジを作るのではなく、六花亭でシフォンケーキを買ってきて、そこにクリームやチョコレート、フルーツなどでデコレーションを作るというのが毎回の定番です。今回はチョコレートケーキを作るということで、シフォンケーキをチョコレートでデコレーションして、大きないちごをたくさん載せて完成しました。

 ちっちの姉は、ちっちに素敵なプレゼントを準備していました。前日から何やら絵を描いていましたが、ポケモンをはじめちっちの大好きなゲームや漫画のキャラがびっしりと描かれた絵をちっちのためにプレゼントしてくれました。ちっちは大喜びで、その絵をちっちが持ち、ケーキを姉が持って二人で笑顔を見せている写真を、私は今年に入ってからずっと携帯の待ち受けにしています。ちっちの姉はいつもと同じように笑顔を見せていましたが、一昨日の話を聞いたあと、どんな思いでこの絵を描いたかと思うと、胸がしめつけられる思いでした。

 ちっちにもあらかじめ、プレゼントに何が欲しいか聞いていたのですが、その答えは「ニンテンドー3DS」だったのです。翌年の2月下旬の販売予定だったので、他に何かないか聞いたのですが、「3DSが欲しいからクリスマスプレゼントはそれまでお預けでいいよ」と言われてしまいました。
 少々の無理な願いなら、メイク・ア・ウィッシュにお願いしてちっちの望みを叶えてあげようとも考えていたのですが、さすがにこれは発売日の2ヶ月前に手に入らないだろうと思って断念しました。ちっちに病状のことを話すわけにもいかず、それを思い出すといまだに切ない気持ちになります。

 結局、ちっちは3DSを手にすることはなかったのですが、翌年の発売日には姉妹の分2台の3DSを買いました。ちっちの代わりに私たち夫婦がそれを使っていますが、ちっちも時には一緒に遊んでいるのかなと思いながら。  

Posted by ジアス at 15:04Comments(2)ちっちの物語

2011年12月11日

ちっちの物語その41~ありがとう

 12月22日の夜、ちっちが寝た後で、私たち夫婦はちっちの姉でちっちの骨髄移植のドナーである、わが家の長女に「大事な話がある」という声をかけました。

 彼女はこの年の1月の骨髄提供後も特に異常はなく、元気に過ごしており、ちっちの退院後は今までどおり、あるいはそれ以上にちっちの仲の良い姉であり、時には喧嘩をしながらも一番の遊び相手でした。そんな彼女も中3になり翌春の高校受験を控えていろいろ迷いや悩みが増えている時期でした。そんな中、迷っていた志望校も、頑張ってワンランク上の学校を目指すことがようやく決まったところでした。
 移植後の再発の事実を彼女に伝えなかった理由は2つで、1つは私たちが抱えているような不安感を一緒に抱えてほしくなかったこと、そして2つめは、ちっちが一番望んでいるわが家の普通の生活を送る上で、彼女が何も知らないほうが自然にちっちと接してもらえると考えたからです。

 しかし、ちっちの病状が進むと、いつ彼女にこの事実を打ち明けるかということが私たち夫婦の課題の1つになっていました。最期まで言わないという手もありますが、それは私たちの選択肢にはなく、私たちがちっちを看取る覚悟をした以上、彼女にもちっちとお別れをする時間が必要だと考えました。ただし、それは本当にちっちの病状が切羽詰った時と考えていましたが、とうとうその日が来てしまった、というのが22日の診察の結果でした。

 私たちは2階で寝ているちっちに聞こえないよう、1階のリビングでこれまでの経過と現在の状況を話しました。彼女はじっと私たちの話を聞いてくれていましたが、やがて彼女の目にも涙が浮かんできたのがわかりました。
 話を聞き終えて、彼女は、「いままで隠していてくれてありがとう。そして、話してくれてありがとう。」と言ってくれました。

 私たちも自分が中3の時にこんなつらい話を聞いたことはありません。彼女が精神的なショックをどれほど受けるかということはとても心配でしたが、それでも言わなくてはいけない、という私たち親の思い、そしてここまで私たちにとって大事なことは何かを考えて私たちがしてきたことを、彼女はしっかりと受け止めてくれた、そのことだけは、その一言の返事で十分にわかりました。  
タグ :ちっち

Posted by ジアス at 16:00Comments(0)ちっちの物語