2008年10月04日
旧岩崎邸庭園~明治の洋館の代表作
昨日は上野でバリウムを飲む(笑)という用事がありまして、仕事を休んで出かけました。14時過ぎに終わったので、せっかく上野まで出てきたし、行ったことのないところに行こうかと。
そういえば過去何度も上野に来ていながら、西郷さんの銅像を見たことがありません(爆)。というわけで京成上野駅わきの階段を上がり、まずは西郷どんにご対面。上野の美術館や博物館に行くにはちょっと遅い時間だと思い、不忍池の方へ。池を琵琶湖に見立て、竹生島をモチーフに作られたという観音堂から池を横切ります。
池の西側に出るとそこからすぐの所に旧岩崎邸庭園があるという看板が。戦前の三菱財閥社長の岩崎家のお屋敷です。行ってみるとこんな立派な洋館がありました。
イギリス人のジョサイア・コンドルの設計で(鹿鳴館やニコライ堂を設計した人でもあり、その弟子が東京駅を設計した辰野金吾)、彼の洋風邸宅の代表作と言われているそうです。中に入ってみると玄関に階段に暖炉に居間にサンルーム、地下道や離れの撞球室(ビリヤードルーム)もあればアメリカの映画に出てきそうな立派なバルコニーと、ため息がでるくらい美しい空間でした。最初の写真は北側の玄関側ですが、南側の芝生から見た感じはこの通りです。
でも、その当時の邸宅はこの通り洋風の屋敷と和風の屋敷がつながっていて、ふだんの生活は主に和風の屋敷で営まれ、洋館は来客用の施設という色合いが濃かったようです。明治・大正の頃はこの形式の屋敷が日本には多かったとか。子供の頃から慣れ親しんできた習慣というのはいかに西洋文明を急激に取り入れていく中でもそう簡単には変えられないということでしょう。私たちも思い当たることがありますよね。
ちなみに、この屋敷のすぐ横にある坂が無縁坂です。森鴎外の小説「雁」に出てくることで有名ですが、私にはさだまさしの(というか正確にはグレープの)曲の方が先に浮かびます。そういえば、不忍池のすぐそばにあるので、ああいう歌詞なんだ、と改めて気付きました。
そういえば過去何度も上野に来ていながら、西郷さんの銅像を見たことがありません(爆)。というわけで京成上野駅わきの階段を上がり、まずは西郷どんにご対面。上野の美術館や博物館に行くにはちょっと遅い時間だと思い、不忍池の方へ。池を琵琶湖に見立て、竹生島をモチーフに作られたという観音堂から池を横切ります。
池の西側に出るとそこからすぐの所に旧岩崎邸庭園があるという看板が。戦前の三菱財閥社長の岩崎家のお屋敷です。行ってみるとこんな立派な洋館がありました。
イギリス人のジョサイア・コンドルの設計で(鹿鳴館やニコライ堂を設計した人でもあり、その弟子が東京駅を設計した辰野金吾)、彼の洋風邸宅の代表作と言われているそうです。中に入ってみると玄関に階段に暖炉に居間にサンルーム、地下道や離れの撞球室(ビリヤードルーム)もあればアメリカの映画に出てきそうな立派なバルコニーと、ため息がでるくらい美しい空間でした。最初の写真は北側の玄関側ですが、南側の芝生から見た感じはこの通りです。
でも、その当時の邸宅はこの通り洋風の屋敷と和風の屋敷がつながっていて、ふだんの生活は主に和風の屋敷で営まれ、洋館は来客用の施設という色合いが濃かったようです。明治・大正の頃はこの形式の屋敷が日本には多かったとか。子供の頃から慣れ親しんできた習慣というのはいかに西洋文明を急激に取り入れていく中でもそう簡単には変えられないということでしょう。私たちも思い当たることがありますよね。
ちなみに、この屋敷のすぐ横にある坂が無縁坂です。森鴎外の小説「雁」に出てくることで有名ですが、私にはさだまさしの(というか正確にはグレープの)曲の方が先に浮かびます。そういえば、不忍池のすぐそばにあるので、ああいう歌詞なんだ、と改めて気付きました。
辛口モスコミュール
竹芝桟橋からの眺め
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Posted by ジアス at 23:40│Comments(0)
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